について。
↑の増田さんがかなり鬼畜的なご意見をお持ちなので、僕もかなーり鬼畜的な意見を書いてみます。
とはいえ釣られ気分でロケンロールなわけです。
人間ってのはそもそも鬼畜なんですよ。大都市に原爆おとして20万人以上ぶっ殺しておいて、今でも「自分達は正しかった」と平気で豪語できるんですから。
動物を殺すのはカワイソウ・・とか言っておきながら、マクドやらケンタやら叙々苑あたりで動物の死肉を焼いたり揚げたりしながら塩ふってタレ付けてバンバン喰ってるわけだからバカすぎる。こりゃもう何があってもバカで鬼畜以外のなにものでもないわ。救われネェよぜったい。
あとね、我々人間という生物にとって、子供を作るという行為はすなわち、生物が進化の過程で得た最大の奇跡であり、自らのDNAを変質させながら複製して永遠に生き長らえさせる仕組みなわけです。
人間ってやつは、この奇跡と言える仕組みがチート臭いほど強化されていて、年中発情期で生殖受精可能でそれだけで受精頻度を上げているし、しかも赤ん坊の死亡確率が最も高い時期に母親の胎内で1年近く守られることによって、生存率を飛躍的に高めている。まぁそのせいでお母ちゃんはエレぇ大変なわけで、お父ちゃん達はガンバってお母ちゃんのサポートせにゃいかんわけだけど。
もちろん、子作りは完全に親の身勝手ですよ。「テメェの遺伝子はオレのだから次に伝えろよ。絶やすんじゃねぇぞゴラ― щ(゚ロ゚щ)」てなわけで、親ってよりか御先祖様の身勝手ですよ、こりゃ。ホントウにまいったまいった。
でもね、俺みたいに御先祖様の遺伝子を後世に残すことをやめて、ただ自分の余生を楽しく生きることに注力するバカヤロウもいるわけで、それについてはパパママ、ゴメンナサイですよ。
ん?そんなことはね、しらねー。だって、「子供を作る」ことの目的は遺伝子を後世に残すことですよ。種を存続させることですよ。あと付け加えるなら、子供を作る目的は「子供を幸せにする」ことではなくて「子供に次の子供を作らせる」ことなんだもん。多少不幸であろうが何であろうが、遺伝子が次につながればそれで目的は達成される。子供が「幸せ」であることは遺伝子が次につながる可能性を高めるために推奨される方法なわけ。つまり「幸せ」であることは手段であって目的では決してない。だから「どういう目に遭いますか?」を気にするのは無意味で、「どうやったら自分の子供が無事に子供生んで育てられるようなりますか?」を気にしなきゃいけない。
何をいまさら。お魚さん達をみてごらんなさい。種の保存のために命を懸けて大博打を打ってらっしゃる。人間だっておなじでしょうが。昔の日本でも子供の死亡率が高かったから子供の数が多かったという説もあるし、実際に子供の死亡率が高い発展途上国では今でも子供が多い。この事実を見て「子作りは博打じゃない」なんて言えないでしょうが。掛け金は親と子供の命。リターンは種(遺伝子)の存続だよ。
酷な事を言えば、死ぬ前にどこぞに遺伝子残して、その遺伝子が次につながるようにしてから死んでね。
ここらへんの論述については、↓ここらへんのヒトがウマい事文章にしてくれてていて、俺もそれに同意なので割愛。
「子供を作るのは鬼畜の所業」を読んで思ったこと BY 不倒城
http://mubou.seesaa.net/article/366488325.html
結論から言えば、「子供を作る」に「思いやり」とやらは必要ねぇとおもうぞ。必要なのは「思いやり」なんてナマっちょろいものじゃなくて、これから生まれてくる子供を育てる上で自己を犠牲することもやむなしという「強い覚悟」と「強い決意」だ。つまり「子供を作る」のに考えなきゃならんのは生まれてくる子供のことではなく、自分自身の事についてだ。つまり「ハラくくれ」ってことだ。
親の役目は何があっても自分の子供に子供を作らせることだ。そのために自分が死んでも目的を達成させなきゃならない。だから世の親は子供の為に必死に働き、子供の為に仕事休んで受験校の願書を提出しに行き、子供の為に親が就活して、子供の為に親が婚活もする。自分の子供がパートナーを見つけて子供を作ってちゃんと子育てできるようにお膳立てをする。全ては自らの子供が子供を作る為の支援行為だ。世のパパママは大変なんだぞ。世の中ではこれを「思いやり」と言うんじゃなくて「自己犠牲」と言うんだ!!わかったか!!
あとね、全然関係ないんだけど↓の増田さんの記事が衝撃的で鬼畜じみててちょっと好き。
件の記事は、
子作りは、すべて親の都合。(事実)
これを知っていて産むやつは鬼畜だと思う。知らないで産むやつは馬鹿だと思う。(意見)
という事実と意見から構成されている。
これに対する反論(反対意見)は2つある。
一つ目は意見の否定。つまり、「鬼畜で何が悪い」という反論。これはこのエントリーできちんと述べられている。
それともう一つ、事実の否定である。つまり、子作りの目的は親の都合ではないということを言わねばならない。
しかし、このエントリーでは、これがうまくできていない。
もちろん、件の記事の(事実)を認めている文章もこのエントリーにはある。
>つまり「子供を作る」のに考えなきゃならんのは生まれてくる子供のことではなく、自分自身の事についてだ。
>子作りは完全に親の身勝手ですよ。
しかし、だったら以下の文章はいらない。
>「子供を作る」ことの目的は遺伝子を後世に残すことですよ。
>親の役目は何があっても自分の子供に子供を作らせることだ。
これらは、当然、親の都合の範疇に入る。
さらに、子供を作る目的は遺伝子を後世に残すことというのは不正確。
なぜなら、人間は、配偶者の容姿、性格、年収、そのた諸々を気にするからだ。
正確に述べるのならば、子供を作ることの目的は、親の利益の追求、親の都合となる。
つまり上の2文は子作りはすべて親の都合という事実を矮小化している。
また、最後の方に、思いやりではなく、強い覚悟、自己犠牲と書いてあるが、
その強い覚悟や自己犠牲もすべて親の都合であることは明らか。これも矮小化。
まとめると、このエントリーでは意見への反論はきちんと述べられている。しかし、事実への反論は、相手の言っていることを認めるふりを見せつつ、藁人形論法を展開するというものになってしまっており、反論になっていない。
元記事では産むのは鬼畜と言っているだけであって、
別に「〜するな」とは言ってないし
注意して選択の自由を尊重しているのだからどうこう言っても…
私としては、鬼畜である人間、
人類はお互い余裕がなくなれば
傷つけ合い残虐しているのが現実であるのだから、
結果的に緩やかに滅びていった方が良いのではと思います。
こう考えると地球を一瞬で消せるボタンがあればすぐにでも押したいですね。
そうすれば地球にいる全ての生物も苦痛なく滅び、始めることもないのですから。